自分時間とは、自由時間ではなく自分が満足できる時間

「何をしても良い自由な時間」に憧れるけど、自由時間を手に入れても本当の満足とは少し違う

仕事に忙殺されたり、人間関係で悩んだりしていると、悩むことのない自由な時間が欲しい!と思うことがあります。しかし、実際に自由な時間ができると別の欲求が頭を悩ませます。例えば何か楽しいことをするにもお金が足りなかったり、事前の準備がなくてすぐに実行できなかったり、パートナーの都合が合わなかったりします。
忙しい時にはあれほど自由時間に憧れていたのに、いざ自由時間を手に入れても「これだと〜〜が足りない」と本当の満足とは少し違う自分に気がつきます。

自分が欲しいもの(欲求)には段階がある

自分が欲しいものを整理する時に、アブラハム・マズローの自己実現理論が参考になります。彼の理論によると、人間の欲求には大きく5段階に分けられるそうです。

  1. 生理的(Physiological)な欲求 – 食事や睡眠などをしたい
  2. 安全(Safety)の欲求 – 事故のない、安定した生活でありたい
  3. 社会的/愛(Social/Love and Belonging)の欲求 – コミュニティの一員でありたい、愛されたい
  4. 承認・尊重(Esteem)の欲求 – 仕事などの達成感と評価が欲しい
  5. 自己実現(Self – actualisation)の欲求 – 自分の能力や可能性を花開かせていると感じたい

彼の理論そのものはもっと遠大なものですが、自分時間が欲しいと感じたい時にこの理論を参考にすると、何から始めれば良いかを整理しやすくなります。

例えば、いつも仕事がとても忙しいのに給料は満足できない、趣味の時間も取れない、寝不足になりがち・・・という上記の5段階がまぜこぜになった悩みの場合は、ただ有休休暇を取得したり転職をしても十分な自分時間を創り出せるとは限りません。
工夫して創り出せた自由時間を使って、(多少眠くても我慢できるので)新しい収入を得るためのチャレンジに当てたいのか。自由時間を趣味の時間として使えないとそもそも生きていて楽しくないのか。または物理的な睡眠時間が短すぎて健康に悪影響がでているのか・・・

また、「なんとなく世の中に取り残されている感じがする」という悩みを聞くことも増えてきています。生理的欲求と安全欲求を満足しているからこそ出てくるものなので、周囲からは「贅沢な悩み」とか「そんなに不安なら動け」と言われてしまうような(文字通り)悩ましい段階の悩みです。

無駄こそ大切

命に関わる欲求以外は、人の価値観によってかなり差が出る欲求のようです。
そのため、ある人には何よりも貴重なものでも、別の人から見たら何の価値もないものかもしれません。

例えば、私はゲームが大好きです。ゲームに費やすお金や時間の価値は、人によって大きく異なります。人によっては無駄、むしろ「害」と思うこともあるでしょう。
でも、そんな無駄こそ大切なのかもしれません。

自分は20代〜30代の頃、約8年間ほど営業職・営業マネージャーを務めていました。
毎日4件〜5件程度のクライアント企業を回り、朝は7時出勤、夜は毎晩1時〜3時くらいまで残業してクタクタになって帰っていた時期があります。
当時結婚したばかりの妻には「いつか死ぬんじゃないか」と心配していたと後日聞きました。
そんな営業活動を続けていると、自分の場合はだいたい2ヶ月〜3ヶ月くらいで会話の「ろれつ」が回らなくなってきます。「ろれつがまわらない時」が自分にとっては危険信号です。そんな時には連休か有休2日間を使って、約48時間延々とゲームをします。テレビも見ません。電話も出ません。48時間でゲーム1〜2本くらい全クリアするとスッキリして、また仕事ができる・・・という感じでした。
営業職が自分に向いていなかった(好きではなかった)のですが、営業成績は社内で300人中2位になったこともあったので、成果を出す(ノルマを達成する)という意味では1つの解だったと思います。

・・・ということで、ここで言いたかったのは「当時の私にとっては」ゲームが命綱だったということです。ゲームが無駄かどうかを決めるのは本人です。私としては無駄なこそ大切なのではないかな・・・と思います。

自分時間にあてたいことを夢見ながら、創る

自分時間を創ってしたいこと、自分時間にあてたいことを夢見ることが大切です。
自分自身をラクにして、楽しくして、充実するための自分時間を創っていきましょう。

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